このブログが更新されるということは、即ち何かあったということである。

 まぁ、些細なものだ。匿名メッセージの観点でゴチャゴチャと。作家には付き物だし、私の中の私はこんな当て馬のように使われることが甚だ迷惑だ、他人に迷惑をかけてしまってとても申し訳ない、画面の向こう側の人の悪意も善意も読み取れないからどうしたらいいのか分からない、助けて欲しい、けれど泥舟に手を差し伸べるような人間はいない、とぐるぐる脳内会議を続けている。
 ただ、今回に関しては私は本当の被害者であり、相手方に謝罪をすることはあっても、多くの人間に向かって謝罪する必要もなければ、訳の分からない罪悪感に駆られる必要も無いわけで。それは理解している。理解しているが、感情が追いついていない。

 自分の中に明確に「せめて表面上だけは善人でいたい」という欲求を持つ人間がこの世の大半を占めているはずだが、私も例に漏れずそれであり、誰か明確に悪人を作ろうとしても生来の妄想力が邪魔をして、しかし匿名メッセージを送った人間の気持ちも分かる、私も一歩間違ったら誰かに同じことをしている筈だと信じて止まない。
 思考を止めないことが、人間である証明だと私は思う。
 だから私は思考を言語化して無理矢理このモヤモヤとした気持ちにラベルを貼って、飲み下そうとする訳だ。この作業は私の能力の是非にも善悪性にも全く関係ない。ただ「私が納得したもの」以外飲み下したくない、「私自身のことは私が一番理解していなければならない」という傲慢さから来るものである。そこに価値はない。優しい人間などではない。自分勝手な傲慢さと自尊心が蔓延っているだけだ。それを他人から指摘されることは俗に言ってしまえばものすごいイラッとするので先取りして自分で言っている。こうすることで予防線を張っている。それだけである。

 怒りを抱えるとき、しかし私に怒る権利があるのか? と、必ず考えてしまう。カッとなってしまう分、その後の後悔は計り知れない。まずこうなってしまった原因を考えるし、行動の原因を考えるし、相手の気持ちを考える。それは私にとって理解に必要な工程だからだ。相手はもしかしたらままならない状況だったのかもしれない、と考えると。途端に頭が鈍る。じゃあ自分が悪いのか、と考える。100%私が悪い時もこれを考える。いや、寧ろ100%私が悪い時の方が開き直れる。だって「やりたかったからやった」だけだから。加害者の意図が知れる。でも被害者になるとまるで分からない。加害者がどういう人間でどういう人生を送ってきてどういう価値観を持った人間なのか、考えてしまう。それが優しさではなく私の類まれない自尊心から来ていることを、読者一同は今一度刻み付けておいてくれたまえ。
 そうして思考を続けていると、困ったことに、この事件には被害者しかいなくなる。だから困ってしまって、自責にいくしかなくなるのだ。他責思考はこういう時だけ働かない。あるけれど、押し潰してしまう。私自身の尊厳に関わるので。プライドが許さないので。

 時間の経過と共に日常通りに戻れるようにと祈る度に、私はまだ、山月記のように、虎にはなっていないのだと言い聞かせる。
 私はまだ狂っていない、私はまだ虎ではない。私はまだこの狂気を飼い慣らしていられる。だから大丈夫だ、と。

 誰か、何か、明確に私をこの泥の中から救って欲しいという少女の夢に近いような願望がある。しかし現実問題、自分を救えるものは自分だけであり、他の誰にも私は救えない。私を救うのは永久の思考停止、即ち死のみである。だって私をここまで追い込んでいるのは、思考という私自身なのだから。
 だから、と言っては難だが。昔から助けを乞うのが苦手だった。プライドの問題もある。知らない話を素直に知らないと言えない。それと同じだ、これは。しかしこのプライドと虎になるほどの狂気を抱かなければ、私は恐らく、なんの尖りもない平均的で画一的な民衆に埋もれてしまうのだろう。それは、嫌だ。私という尊厳を、プライドを、自尊心を、現世に繋ぎ止めるその細い糸でさえプッツリ切れてしまう。だから嫌だ。

 心配をかけているかは知らないが、まぁ、心配させることもあるだろう。だがこのプライドがある内は恐らく死なないのではないのだろうか。プライドが行き過ぎて死ぬことはあると思うが。まぁ、その時は。

 葬式ではおめでとうと祝福してください。ポップでキラキラとした生命賛歌の大衆受けするような、どこかで絶対に聞いたことのあるような曲をかけてください。棺桶に花は入れないでください。本を入れてくれるだけでいいのです。賽の河原を積んでいる間、暇を潰すので。それから、そうだな。一番は葬式は別にやらなくてもいいと思ってるんですが、多分やると思うので。体裁的に。だから私の部屋に、誰の字でもいいので、こう書いてください。壁に書き殴ってください。

「ああ神様、地獄ではじめましてを宣う私を、どうか赦してくださいましね」

 それでは皆様左様なら!
 大丈夫、まだ死にませんよ!

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日記

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