夏が来ない


 完璧な曇りである。
 雲の隙間から時折テクスチャバグか?くらいの小ささで青い空が覗いているものの、白と灰色をまだらに混ぜた厚い雲が空を覆う、完璧な曇りである。
 降水確率40%、UV指数9。これは高いのだろうか。低いのだろうか。山にも雲がかかっていた。登山の時に雲にぶち当たったことがあるが、気圧も相俟って死ぬほど息がしにくかったのを覚えている。叫んだやまびこは果たして空の果てから返ってきたろうか。それともまだ、飛んでいるのだろうか。

 7月ももう半ばを過ぎた。今年はあまり夏という実感がない。あの生ぬるい空気を掻き回すだけの教室の扇風機は、今年からクーラーに変わったらしい。まだかき氷もたべていない。夏は本当に来たのだろうか。蝉はうるさく鳴いている。けれども、季節が巡った実感はない。
 去年はどうだったろう。7月、7月?夏休みは暑いくせにいつも短くて、夏真っ盛りの時に始まって、夏真っ盛りの時に終わるから意味があるんだろうかといつも思っていた。ノートの上に垂れた汗を手のひらで乱暴に伸ばして、ズッパに引っ掛けた素足を机の足の鉄の部分に付けて、先生の声をラジオをみたいに聴きながら、生ぬるい、水滴だらけのペットボトルを傾けたような。
 カーテンは揺れないし、室内に入ってこないくらいに日は高いし、ぬるい空気を掻き回すだけの扇風機、体育の終わった後はシーブリーズと塩素の匂いでいっぱいで、体はいつもだるくて、早く夏休みにならないかなぁって、ぼーっと黒板を見ていた。
 窓から見る空は、飛行機雲が断ち切っても関係ないみたいに青くて、眩しくて、舌打ちが空気に消えていく。

 夏が来ない。

 小学校の頃、6時の放送が鳴っても友達と喋っていて、空はまだ明るくて、街灯はついていなくて、まだ帰りたくないなって思いながら手を振って、またあしたぁって間延びした声と、ちゃぽんと鳴る水筒と、引っ掛けた給食袋が膝裏を蹴って駆け出して、まだタンポポは咲いていて。
 中学校の頃、は、輪郭がぼやけるまで部活をしていて、耳の奥にまだ楽器の音が残っていて、今日の反省とか、いろんなことが頭を回っていて、きゃいきゃい騒ぎながら自転車をかっ飛ばして、でもすぐに疲れるから歩いたりして、体力ないなぁって笑われて、愚痴とかなんかいろいろ、どうでもいいことばっか話して、肺の奥がしんどかったけどずっと喋っていて。
 高校の頃は、電車が1時間に1本になって、21時の電車を逃すくらいにみんなして部室で駄弁ってて、本番前になるとお通夜みたいになるのに誰も帰らなくて、反省点上げてまとめて、部室のドアを開けると空の縁がまだ明るかったりして、明日なにしようかぁって、駐輪場で別れるまでずっと喋ってて、文化祭は室内だから少し寒いくらいで、ヘマやるとみんなピリピリしてて、でもなんか3年の時は先生めちゃくちゃ優しいのがすげぇ怖くて、夏、夏、夏が来る。夏が来ていた。

 夏が来ない。

 今年は夏が来るんだろうか。きっと来ない。来年は、きっと来る。それが日常になっている。夏が来て、秋が来て、冬が来て、春が来て、また夏が来る。

 夏が来ない。夏が、来ない。

 ただ雲の隙間から覗く空はコバルトブルーに澄んでいて、そこだけ見ると、あぁ、夏の匂いがすると。
 私も大人になってしまったのだと、ほこりっぽい教室が、帰りたくなかったあの寂しさが、酷く懐かしくなるのだ。


 以上、レポートが終わらない私がお送りしました。

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