本日を持って20歳になりました!とうとう幼い頃から恐れに恐れ悪夢まで見て夜な夜な枕を濡らしていた『大人』になってしまいました!いえーい!ピース!
大人になるって諦めることって言うけど、最近わりとその通りだなと思いつつ、そうでは無いのではと思う瞬間もある。諦めたこともそれなりにあるけどそれ以上に下を向くことが馬鹿馬鹿しいと思ったこともあって、迷走は若さの特権!だなんて言葉を、他ならぬ若者がしみじみと実感している。
いやいや、全然まだまだ希死念慮を抱えて生きていますし、明日の生存への罪悪も抱えていますが。自分は嫌いだけどちょっとは好きになったよ。生きるのは嫌いだけど生きるために呼吸してるよ。嫌いに、ある程度の諦めがついたんです、その辺。多分だけど。今日食べきれなかった夕ご飯を明日食べようって思うくらいにはなってる。ハードルが低くなったのか軽率にドアノブにパーカーの紐とか吊るすけど、呼吸が苦しくなる中で冷蔵庫の中身とか、洗ってない洗濯物とか思い出すわけですよ。終わってないレポート、書いてないリアクションペーパー、すっかり忘れてた課題とか。良い傾向なのかはわかんない。昔っからとは言え今も眠りにつくまでに怖いなって思うのはあるし、ご飯は美味しく食べれる時しか食べたくない。暇な時間を無理矢理埋めるため無駄に掃除とかしているし、最近物をよく捨てるようになった。必要だって買ったくせに捨てている。夜逃げみたいじゃない?笑っちゃうね。毎日外に出るようにしてるからお風呂は毎日入るように戻ったし、化粧も簡略化しまくってるけどするし。
あとなんだろう、あぁ、そう。最近善人を諦めるようになった。宗教系の講義を聞いてると優しい人とか良い人とかがい〜っぱい出てくる。私は幼い頃から優しい子って言われ続けて育ってきて、実際そうだと思ってたけど、色々な経験により善性より悪性の方が余程強いのだと思い知った。その上で、一応ある程度善人であるという体を、諦めなくなった。厨二病気取って下手に悪人を語らなくなった。これは単純に知識が増えたせいかもしれない。日がな一日生きない理由を探していた時間を、他のことに当てるようになった。死ぬのを諦めたと言うより、生きるのを諦めなくなった、と、思う。これは成長だ。私は大人になれた!私なんかでも、大人になれたのである!
とまぁここまで良いことばっかりを言ってきたが、今日、酒を飲んでタバコを吸いながら、この瞬間に死ねたらどんなにいいだろうと涙が出てきた。いい気分のまま死にたい、幸福の絶頂で死にたい。そう思って生きてきたので、今、この瞬間がそうではないかと私は思ったわけだ。
火災報知器が鳴るのでベランダで吸った慣れないタバコの煙をくゆらせる。けほ、と中身のない咳をして。二階だからどうせ死なないだろうけど、20歳記念にいっちょ飛び降りてやるかとぐっと手すりを掴んだところで、あぁ、と。
そういえば、作ったばかりの紅茶のティーパックを捨てるの、忘れてたなって。そう思って、次の瞬間に死にたくなった。死ななかったけど。
大人になるのは、諦めるのが下手になった時かもしれない。予定では今日死ぬつもりだったんだけど、全く人生とは上手くいかないものである。
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