安楽死

 死にたいのだと医者に言ったら、死んではいけないと言われた。鬱は価値観や人格を歪めるものだ、死にたいと思うのは普通ではない。一時の異常で、その後の全てを投げ出すようなことはしてはならないと。

 話は変わるがこの間祖父が死んだ。私が物心ついていないような時に余命一年と言われたのにも関わらず、孫が成人するまで生きたというのは凄いことだと思う。最期は眠るように逝ったらしい。亡くなる三日前に会ったが、濃厚な死の匂いが病室に立ち込めていた。人が亡くなる匂いはこのようなものなのかとぼんやり思ったものだ。葬式にはそこそこ人が来た。骨を焼き終わって家に帰る道中、母に「変わったね」と言われた。「ちょっと前までは擦れてたけど、真っ直ぐ育ってくれて嬉しい」と。自分でも大学に入ってからの三年くらいは激動の日々であったと自覚しているし、自分の中のどうしようもない希死念慮や諦念とある程度上手く付き合っていけるようになったと思う。そも、私は人が好きなのだと気が付いてから開き直れるようになった。多分大人になれたのだ。鬱で首吊るのは変わらないけど、それでもなにか、結局生きようとする自分の体との付き合い方を学べたというか。

 恵まれた環境に生まれたのにも関わらず、気付けば死ぬことばかり考えていた。明日には死んでいるのだと毎日夢を見ていた。しかし勝手に死ぬ事は無いのだと絶望して、首を吊る真似をして、ある時はわりと本気で死のうとして失敗し、この世が案外優しくないことを知った。22まで半年と少しになった今でも死にたい気持ちはあまり変わらない。薬を増やされたが、安定しているのかわからない。寝れてはいる。食べれてもいる。ただ生きていること自体に吐き気がして、頭が痛くて、解放されようとするだけ。ただまぁ、明日も生きてるであろうことに絶望するのはなくなった。数年先のビジョンまでなんとなく想定できるようになった。
 たとえばいちばん最初に躓いて、死にたくなって、首を吊ったときにちゃんと死ねていたら、私は世界が私に優しくないことに気付かないまま逝ったのだと思う。遺書に死にたい理由を並べ立て、ですから許してくださいと何かに対して懺悔をし、吐瀉物と涙にまみれたまま死んでいた。だがしかし失敗したので、私は今悲鳴を上げながらレポートを書いているのである。単位が足りないので四年も頑張れよと言われた。頑張るしかない。
 死を夢にしていた女は一応ちゃんとした夢を持った。刹那的に生きていた私としては寂しいことだなぁと思う。ウェンディが去った後のピーターパンのような心持ちだった。私は子供という不安定でどうしようもない存在が好きだが、同時にそこから抜け出したが故の軽蔑を抱えている。彼らはまだ世界が自分に優しくないことを知らないのだ。厨二チックなポエムを並べる私に見下されても、と思うだろうが、私は一応ちゃんと大人になったのである。

 死にたいのだと医者に言った。医者はそれを否定した。私に否定が届く前に死んでいたら、多分もっと幸せだったろうなと思う。
 死にたい自由が保証される日は来ないかもしれないが、私は人間が好きなので、より多くの人が救われればいいなぁと思う。たとえそれが、死だとしても。

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