幼い頃から無性に死にたかった。特に理由がある訳でもない。辛いこともあまりなかったし、沢山の愛情を受けて、なんとなく育ってきた。だというのに、自意識が芽生え始めた頃から私はどうしようもなく死にたくて、終わりに救いを感じていて、死ねば幸せになれるのだと信じていた。しかしその口で夢を語っていたことも事実である。アイドル、女優、声優、そういうキラキラしたものを夢見た。そういう特別になりたかった。現実はそんな生温いものではないので、当然、私の幼い小さな夢は運動靴の裏で押し潰された訳だが。どうしてこんなに死にたいのかと考えると、やはり終わりに夢を見ていたのではなかろうかと思う。若さに夢を見ている。年老いた自分を恐らく許容できない。刹那を売って生きていけると思っていた。泡沫のようなもろい時間を切り刻んでしか生きていけないのだと思った。可愛いものになりたかった、と言ってしまえば簡単だが、在り来りに言うと、多分、ちやほやされたかった。特別になりたかった。それが私という凡才の限界だった。なので今も、こうして身を削って文字を出力しているのである。才能がないくせに才能に固執した。特別の席に憧れた。それが私という凡人、私という石ころである。そう言う癖に、終わりに夢を見ていた。多分根本的に、競争が苦手だった。走り続けることが苦手だった。致命的に競り勝つことに向いていなかった。優しいとかそういうのではなく、単純に適性がなかった。他者より優れていたい癖に努力を厭う、他者を踏み付けにしたい癖に目標も何も無い、惰性で生きて、惰性で競争して、負けそうになって泣いている。薬に頼らないと生きていけない。薬に頼っても生きていけない。夜は眠れない。朝は動けない。昼は憂鬱で、夕方にくしゃみをする。死ぬと寂しいよと言われたが、私は貴方が寂しがる気持ち程度でこんな拷問に耐えなくてはならないのだろうか。ならないのだと思う。私が見る社会というものは、死を許さないように見えている。悪のように感じている。生存も悪だと考えているのにも関わらず。上手く言葉が纏まらない。一文字を打つのに酷く時間がかかる。それが嫌だ。死にたくなる。私という人間に残った価値のあるもの、唯一キラキラしているものは、これしかないのに。いや、これすらただの石ころであることを私は知っている。しかし縋るしかない。もういっそのこと、みんな死んでしまえばいいのにと思う。それなら、せーので死んだら、きっといい。終わりは救いだ。ずっと信じている。ゴールは嬉しい。終着点は希望に溢れていなければならない。神様なんていないのに、神様という存在が私の生存を、私の死を許してくれることを祈っている。誰も私に何も言わないでくれ。生存の許しをくれるな、死の許しをくれるな、死んでもいいよと言うな、死なないでと言うな、生きて欲しいと言うな、お願いだから、何も言わないでくれ。私の呻きすら聞かないでくれ。私という存在に影響されて、何かをしないでくれ。いいや、してくれ。私の文字で抉れてくれ。死んでくれ。それだけを祈って、今日も日付が変わる前に眠る。そうして起きる。以下、繰り返し。同じ日々を過ごしてはいけない。何かを変えなくてはいけない。少しの成功体験があれば、ひとつの満足があれば、多分それだけで十分なのに、それすら得られない。だから苦しい。カフェインでも飲めば何かが変わるだろうか。今日は朝の薬を10錠飲みました。元気にはなりません。お医者様は憂鬱を消すと言ったのに。消えてくれません。体が動きません。涙が出てきます。どうしたらいいんですか。なにをしたら楽になるんですか。やはり、死ぬしかないのでしょうか。私はどうしてこんなにも死に夢を見ているのに死なないんですか。誰か教えてください。誰か明確に答えを出して、決めてください。いいえ、いいえ、許されません。私の人生を他人に委ねるなんてそんな恐ろしいこと、できません。私しか私の人生をマトモに考えてくれる人なんていないのに、何を期待しているのやら。私以上に私のことを好きな人間なんて一人もいません。知っています。知っているんです。分かっているのに追い付かない。なんでなんですか。私はなんでこんなに苦しいんですか。キーボードが重いんです。スマートフォンが重いんです。毎日、死ぬ夢を見るんです。嗚呼、天に在す我らの父よ。どうか私を救ってください。そうでなければ、そうでなければ、私はもう、なにもわかりません。
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