昨日母にマトモに生きていける気がしない、死ぬしかない、と呟いたら、そんなことを言うなと怒られた。なので今日は何をするにも涙が出て、死ぬしかないと思ったわけである。こういう時、いつも声にはならない。私の頭の中はグルグルグルグル考え続けるだけで、これっぽちも音にならないのである。思えば昔から他人に弱音を吐くという行為が非常に苦手であった。人間誰にも他人に見せている側面を選んでいると思うが、私は演劇を始めてから非常にこの傾向が強くなり、「私」という役を演じ始めたのだ。他者に話し掛けられればその場でてきとうに話をでっち上げ、他者が青と言えば青色の役をこなしてみせた。まぁそうでない時もあったが、基本的に私は私の役を演じ続けたのである。そのようなもので、私は私の情報操作を始めた。大丈夫?と言われると反射的に大丈夫と答えてしまうようなものである。深い話を一切したがらない。したとしても文字の上、相互不理解となればすぐに話を切り上げる。そも、私のこの思想を誰かに理解してもらおうだとか共感してもらおうだとか、そういうことを一切思っていないので、話し合いに求めるものがなにもないのである。言ったところで何も変わらないし。私は死にたいままだし。なので私は、非常に真剣な話し合いが苦手なのであった。自分は他者を理解しようと思うが、他者は自分を理解しなくていい。そうやって思っている。なのでわたしがてきとうに吐く思想に正当性はまるでない。くれぐれも本気にしないでくれ。どうせ明日には変わってるから。
さて、人生の瓦解がいつから始まったのかと考えてみると、やっぱり大学一年後半、引きこもった時だったように思う。理由はもうなんだったか忘れてしまったが、多分大人になるのに耐えきれなかった。正直今でも耐えられない。自分が歳を重ねて生きていくことに吐き気すら覚える。生存とはそれだけ苦しみだと私は思うのだ。基本的な思想として、生とは死の苦しみを一生味わうことだと感じている。そう信じなきゃ生きていけないのだ。今すぐに死んでしまいそうなのだ。では何故そうまでして生きるのかと言えば、完全にタイミングを逃したとしか言いようがない。ODアムカ首吊り線路飛び込み……結構やったがどれも失敗した。死ぬのって難しい。基本的に今この瞬間だけを生きて過去のことも未来のことも忘れるしどうでもいいと思っているからして、死にたいと思った瞬間に即行動しないと気が済まない。因みに今日はこれから夜薬を大量に飲んで首を吊ってみようと思う。多分死ねない。明日の座談会は多分普通に参加します。一回やったら満足すると思うので。
さて二回目の瓦解の話になるが、普通に逃げ癖である。私はドシングルタスクマンなので一個以外のこと以外考えられなくなるのだ。小説書いてたら普通に時期を逃した。あと自分から能動的に動いたことが今までの人生一度もない。やったことあっても、それはその日そういう気分でそういう性格だったからやっただけで、所詮気まぐれである。昨日その程度の揺れ誰にでもあると言われたが、冷静に考えて私レベルに人類全員の性格が毎日コロコロ変わっていたら滅びないだろうか。私は今日誰かを批判した口で明日その人を擁護する人間である。みんなそんなもんか?まぁ、そんなみんななんてどうでもいい。みんながどうであろうが生きたがろうが死にたがろうが苦しかろうが辛かろうが私には何の関係もない。私が今この瞬間死にたいことだけが事実なのである。それ以外はなにもない。観測できないので。仮に社会に出て就職したところで恐らく1ヶ月かからず辞める。賭けてもいい。私は朝面倒だなと思った瞬間にバイトを休みそのままバックれる女である。責任感って果たしてなんだろう。別に自分以外の人間はどうでもいい。困ってようが困ってなかろうがどうでもいい。私の世界の頂点は私なのだ。他は有象無象。神にでもなったつもりなのである。あと朝起きた瞬間の思考って操れないし、夜にどんだけ頑張るぞ!と思っても朝の私はそんなこと知ったこっちゃないのである。別人だと思ってくれて構わない。だから夜の私がいくら考察したところで意味を成さない。私は頑固な上に話を聞かず我が死ぬほど強い怠惰な人間だ。オマケに口下手。文字情報の方がまだマシな会話ができる。というかこっちに特化しすぎて音声媒体でのコミュニケーションの仕方が全く分からない。昨日死んだらママはどうなると思ってるの、と聞かれたが、知らんがな一択である。死んだ後なんて観測できないんだから知る由もないだろ。未来は所詮過去になるし過去なんてのは幻だ。つまり現在しかこの世には存在しない。はぁ〜死にた。書いたらなんかまとまるかなと思ったけどなんもまとまらんわ。20年続いた思想を変えるには20年要る。なのでまぁ、もう来年から放浪の旅でもするかも。日本一周しようかな。
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