3月19日 深夜1時
・用量用法を超えた精神薬を服薬、多分3シートくらい飲んだ。3種類か4種類くらい。残っていたやつ全部。
・トイレのドアノブに紐をかけ、その中に首を通す。その後の意識は無い。
同日13時
・母親によって発見、後、かかりつけ医にオーバードーズしたようだけどどうすればよい、との指示を仰ぎ、その後大型病院に搬送、胃洗浄もしたらしい。
・意識が戻ったが、何かにつけては「死にたい」を繰り返すのでかかりつけ医の元に搬送。
・「生存は罰」「この世は地獄」「私は救われたいだけだ」「本当に死にたい」「助けてくれ」をカウンセリングで繰り返し発言、しばらく入院するかと問われると数秒の沈黙の後、自分で肯定の意を返す。
・隔離病棟に入院
3月20日 恐らく午後
・覚醒、自身の状況を理解する。点滴に繋がれ動くことができず。しかし兎に角眠く、ぼんやりと天井を眺めていた。
3月21日
・正気を取り戻してようやくマトモな生活が送れるようになる。夜に点滴が外れ、自由に動き回れるように。途端に暇だと騒ぎ出す。
3月22日
・小説が書きたくなって医者にスマホ使わせろとごねる。
・スマホ解禁
3月23日〜28日
狂ったように小説を書く
3月29日
退院
ざっとした経緯は以上である。
因みにだが、全く死ぬ気はなかった。いやあったけど。ODした日は兎に角憂鬱になるアクシデントがあり、加えて母の機嫌も父の機嫌も最悪、母が疲れて眠った後に父が私を引き摺り出して家を掃除させるという苦行も苦行、はよ寝かせろと思うほどの出来事があり、まぁ昼頃から「あ〜これ多分今日おくすりきめたねしないと罪悪感で眠れないですね〜」と思っていたので私は隙を見ておやすみ、と宣った後そっと薬の入ったポーチを持ち出しベッドの上でプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチプチ永遠に薬を取り出しては口に大量に含み、お茶でごくごく流し込んだ。私は全くもって正気だった。じゃあ何故トイレで紐に首通したという話だが、私には普通にそういう悪癖があっただけだ。辛くなるとそうやって天井をぼんやり眺め、眺めている内に眠くなって、しかし冷たいトイレの床では眠れないので仕方がなくベッドに帰る……そういうルーティンがあったのである。ODも全然バリバリ以前からしていた。酒で薬を流し込んで地獄を見たこともある。その日アクシデントがあったことも理由だけれど、その一週間くらい前にからうっすらと調子が悪かった。どうにも筆が進まないのである。これに私はいたく困り、はてどうしたものかと思案していた。アクシデントもまぁ、私が悪いし、申し訳ないとも思っていたけれど。そんなに強い死にたくなるほどのショックを受けたわけでは(少なくとも私の自意識では)ない。まぁつまり、何が言いたいかと言うと。
私は普通に気分転換の為に自殺未遂をしたのだ。
怒らないでくれ、石を投げないでくれ、いやマジで。別に病院に運ばれる気もなかった。翌日普通に家で起きるであろうことを確信していた。トイレで寝たから体は痛いだろうなと思ったけどそれだけだ。そして気を失った。そりゃ3シートも飲めば出会って3秒で即寝落ちである。
そしてその後、本当に、これは本当に無念で仕方がないのだけれど、私には翌日の記憶が全くない。搬送されたことも、胃洗浄したことも、カウンセリングで死にたいと連呼したことも、入院に同意したことも全くもって覚えがない。目が覚めたら知らないベッドに寝ていた。
「知らない天井だ……」
私は人生で初めてこの言葉を呟いた。感動すらしましたね。点滴というものも初めてした。抜かれた時めちゃくちゃ針が長くて怖かった。点滴ってこんなのなんだ……
母親からも父親からもまだ状況は聞いていない。ただ、面会に来た二人が妙に優しく
「今は休んでね」
と言ったのが印象的だった。すみません、娘は気分転換のつもりでした。LINEにも毎日おはようとおやすみが飛んでくる。猫の写真を添えて。
医者には話を聞いた。そしてさんざっぱら聖書の内容を取り出してあれがああだからこうだ、これがこうだからああだと宣ったらしいと聞いた。全く記憶にない。友人に本当に申し訳ないとも言っていたらしい。え、私に罪悪感とかあったんだ……良かった……はえ〜と聞き流しつつ、
「今は死ぬ気はある?」
と問われたので、私は平然と答えた。
「いや原稿あるんで全然死ぬ気ないッス笑」
医者はじゃあいいかと言った。いいのだろうか。
さて、私は双極性障害という病気らしいが、この病気には1型と2型があり、私は2型だ。2型の方が軽い。まぁ軽いと言っても、1型が人間の形を保てないほど情緒不安定であるのに対し、2型は人間の形はギリ保てているけど普通に情緒不安定というくらいだ。ここで読者諸君からの声が聞こえてくる。多少の波は普通の人間であるのならば誰にでもあるだろう、と。
まぁ病名がついているからには普通に普通ではないのである。ド正論をかましてしまった。
私は月初めと月終わりは比較的元気だが月半ばが本当にやばい。なにもできない。スマホいじるのさえ気力を使う。瞬きすらできない。私は普通に鬱になったこともあるので分かるのだけど、まぁ兎に角鬱になると思考が止まるのである。10の話を聞いた時に3くらいまでしか理解できない。まぁ鬱の話はいいだろう。日本人は生涯で15人に1人は鬱になると言われている。今は分からなくても何れ読者にも分かることだろう。
じゃあ躁は何って言ったら、これが私は本当にヤバいと思っている。呼吸をするのにもHPを削らないといけない鬱に対して、躁はHPが無くなっているのにも関わらず無限に動けてしまうのだ。万能感、絶頂感。なんでも出来る気がする。過去に電車に勝てると思って電車に突っ込んだ輩がいたらしい。そいつは躁だ。躁と鬱だったら元気な躁の方がいいじゃんと思うかもしれないけれど、躁はマジで、ヤバい。鬱と同じくらいやばい。いや寧ろ死ぬ確率的にはこっちの方が高いんじゃないか?知らないけど。躁ってとにかく頭が回るのである。頭が回る癖に死ぬほど視野が狭くなるのである。下手に鬱の状態を覚えてるので死ぬほど苦しかったな……→じゃあ死ぬか!笑の行動力が半端じゃない。私は過去前日にディズニー旅行を決めたことがある。行動力がとんでもない。2でこれなんだから1は相当やばいだろう。中には躁の時に死ぬほどクレカを使いまくって翌月の請求がとんでもない事になった人もいるようだ。明日は我が身。
さて、ようやく本記事の本題に入ろう。
隔離病棟に入院しました。
読者の中にはまだ隔離病棟に入院したことのない〝下〟のランクが居るようなので、ゆっくり魔理沙とゆっくり霊夢が隔離病棟の一日を解説します。嘘です。
7:30 朝食
朝のメニューはあっさり。ご飯と味噌汁、それからスクランブルエッグなどの主菜と、お漬物などの副菜。それだけです。大体の患者はこの時間までには起きます。中には5時起きの人も居ましたね。
9:30 スマホ解禁
看護室にスマホを取りに行きます。ここから怒涛の執筆が始まるわけです。
12:00 昼食
昼は主に魚が出ます。お浸しや酢の物などの副菜などにも事欠きません。デザートとして果物が出ます。
16:00 充電、尽きる
ここらでスマホの充電が尽きてくるので看護室に行って充電してくださいと言って渡します。
17:00 充電復活
一時間後に取りに行くと大体80%くらい溜まってます。これで夜まで大丈夫。
18:00 夕食
メインディッシュは大体肉か魚です。副菜も充実。果物も出ます。ついでに牛乳も。
20:00 スマホ、返却。
消灯も近いので看護室にスマホを返しにいきます。充電しといてくださいと言うのを忘れずに。寝る前の薬もこの時間帯に配られるので、飲んだあとはもう布団に入って目を瞑るだけです。
21:00 就寝
消灯です。早めに寝ましょう。因みに私の隣には四六時中「死ね」「殺してやる」を繰り返すおばあさまがいました。前にはぬいぐるみに話しかけて楽しそうに笑っている——時々、鋭い叱責や罵声が飛びます。私はこの2週間で彼女が言っているのは今まで自分が言われてきた言葉ではないかと考察しました——女性がいます。同室には他に学級委員長のようにハキハキと喋る、しかしどこか幼さの残るおばあちゃん、頻繁にトイレに連れて行かれる癖に看護師さんが来ると「この外道」「笑うな」「そんな嬉しい顔して」「私のことが憎いんだろう」と叫ぶおばあちゃんがいます。早く寝ましょう。
ご飯の後には必ず歯磨きをします。その時にも洗面所で突如として「美人ですね」「綺麗ですね」と繰り返す目の焦点が全く合わない女性、会う度に「良い人はいるのか」「俺と結婚するか」と言うおじいちゃん、女子トイレに平然と入る男性など愉快な仲間たちにも事欠きません。
お風呂は火曜と金曜、週に一度は看護師さんが200円以内の甘いものを買ってきてくれます。
ホールには大きなテレビがありますし、日に何度かは誰かがラジカセからラジオ体操を流します。時々体操のお兄さんらしき人も来ているようです。習字とかもしているみたい。
如何でしたでしょうか?貴方も隔離病棟に入院してみませんか?
私はこの2週間新鮮に気の狂った人間を目にできたので非常に有意義でした。
あと鬼のように原稿が進みました。6日で何文字書いたと思います?正解は7万文字です。頭がおかしい。
以上、隔離病棟レポでした。みんなも原稿が進まない時はODして搬送されて入院しよう!(最悪)
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