しがない字書きをやっていました。
創作者にはヒエラルキーがある。
他のものは一旦置いておくとして、殊「字書き」や「文字書き」と呼ばれる物書きには三段階のヒエラルキーが存在していることは、皆様もご存知だろう。
まずは一番下。底辺字書き。
底辺はおそらく全体の四割ほどであり、ジャンルとか、タイミングとか、流行りとか、そういうものの影響を受けたり受けなかったりして話が読まれない字書きのことである。Twitterを見れば溢れるや溢れるや創作者。「小説なんか誰にでも書ける」という言葉に踊らされ、たまーに小説を書いて載せたり載せなかったりしつつ評価が貰えないことに嘆きつつしている奴らである。なお、底辺と一括りにしても千差万別で、小学生の作文かな?という話を書いてるやつもいればジャンル過疎だったりで上手いけどそもそも読者がいない、みたいな字書きもいる。見つからなければそもダイヤモンドにすら価値などないので。
次に一番上。神字書き。
正直説明不要だろう。多分全体の一割くらい。ジャンルや自カプに一人は居る人間だと考えてもらっていい。分かりやすい礼を言うとフォロワー4桁、ふぁぼ4桁、ブクマ4桁、たまにネタツイがバズる。話を投稿すればマシュマロとリプがわっさわっさ湧いてきて「感動しました!」の文字から「〜が〜で〜なところが……」などという考察が送られてくる。ネタツイにさえもマシュマロが来る、とか。
はいここで虚無を見てしまった字書きのみんな。一旦深呼吸しようね。
底辺字書き、神字書き。そんでそれの真ん中。
命名もされてもいないこの空間を、仮に「中堅字書き」と呼びます。
中堅字書き。全体の五割強。底辺、よりかはまだ評価されてる気がするし、神、とは流石に名乗れない。中間。間。隙間。空虚。
私は私自身を、中堅字書きと評している。
そんで、小説を書き始めてから多分ずっと、ここに居る。
本格的に二次創作を始めるようになる前からちょこちょこ色んなサイトに投稿していた。結構消したけれどそれなりには見られ、ちょっとしたコメントだって貰った。普通に嬉しい。今のアカウントで投稿してからはもうちょっと顕著で、SSレベルの感想とかも貰ったりした。嬉しい。壁に貼ろうと思う。
そんなことは一旦置いておいて、私はずっと神様にはなれない、ただの凡人なのだ。才能がない、運がない、言い方は色々あるが兎に角私はありふれた何かでしかなく、特別になれることなんか何もない。重々承知しているつもりだし、それが当たり前だと思っているし、私はずっと昔から、それこそ一番最初から、選ばれない側であるのだから。青春時代はもう終わったし、私はもう大人にならなくてはいけないし、いつまでも夢を見たままなんかじゃいられない。きらきらしゅわしゅわは、もうおわり。
なんとなくTwitterのアカウントを消した。少しは楽になったが、しんどいなぁと思う気持ちは変わらないし、自分と他人を比べて惨めになることが沢山ある。このまま作品全部消してしまおうかとも思ったけれど、直接私に何度も読んでますとか、好きですとか、そういう言葉をかけてくれた人のことを思うと勿体無い気がしていた。から、まだ消してない。
明日には消えてるかもしれないし、明後日にはアカウントが復活してるかもしれない。自分でもよく分からない。何がしたいのかよくわからない。
私は何になりたいんだろう。私は何になるべきなんだろう。こうやってずっと酸素を消費して、無駄にして生きてるくらいなら、ここらで誰かにぽんっと終わらせてもらった方が、幸福なのではないだろうか。
真ん中に居る。隙間にいる。ずっといる。誰かの思い出にもなりきれない淡い記憶にしかなれない。私は見られる機会を得てもなお何にもなれない。
誰かに惜しまれたいのだ。それだけなのだ。誰かの特別になってみたかった。誰かの思い出になりたかった。誰かの神様に、なってみたかった。
以上、寝不足気味の私がお送りしました。
0コメント